生い立ち


●1964年(昭和39年)4月6日
東京オリンピックの年に東京神田に生まれる。 祖父が建設材料の卸問屋を営んでいたため、 小さいころから商売に接して育ちました。

●1977年(昭和52年)3月
千代田区立佐久間小学校卒業。 プロを夢みるほど上手ではありませんでしたが、野球に 夢中になっていました。

●1980年(昭和55年)3月
私立駒場東邦中学校卒業。 グランドの広い学校に行きたいという一念で受験。 運良く合格できました。 入学後、すぐサッカー部に 入部。今でもサッカーは大好きです。

●1983年(昭和58年)3月
私立駒場東邦高等学校卒業。 サッカーを続けながら、ロックバンドでドラムを 担当したりもしました。

●1984年(昭和59年)4月
上智大学理工学部電気電子工学科入学。 医療機器の研究をして、大病に苦しむ患者さんを楽にしてあげたいと真剣に考え、電子工学を専攻しました。 在学中、わずかな資金を もとに、ヨーロッパへ貧乏旅行に出かけたりもしました。当時、 知り合ったスペイン人のおばちゃんとは今でも交流があります。

●1988年(昭和63年)3月
同大学卒業。志しのとおりの卒業論文を書きましたが、技術者としてよりも他の手段で社会に貢献したほうが自分には向いていると考え、就職に臨みました。

●1988年(昭和63年)4月
株式会社リクルート入社。自由な社風と若くても責任ある仕事を任せられることに共感して 入社を決めました。人事部で新卒者の採用と内定者の教育を担当。 その後、就職情報誌の営業を経験しました。すばらしいお客様との 出会いがたくさんあり、とてもよい勉強をさせていただきました。 本社の企画室へ異動してからは、就職や独立、起業に関する新 商品、新規事業の立ち上げからイベントの企画運営、マーケット 調査、労働市場に関する情報誌の編集などに取り組み、現在に つながる貴重な経験をしました。人が生き生きと働くために、 日本中の適材適所を実現したいと考えるようになったのも この頃です。 30歳の時、課長を拝命。仕事の幅も広がり、また マネージメントに関する基盤を身に付けたように思います。

●1996年(平成8年)4月
同社を円満退社。社内外の多くの方から「もったいない」 とのお言葉をいただきましたが、チャンスがあるのに挑戦 しないのはもっと「もったいない」と確信し、未知の世界 である政治活動に打ち込む決意をしました。

●1998年(平成10年)4月
新しい民主党誕生の日から朝の駅頭演説をスタート。西武線の各駅頭で政策を訴え、その回数は1000回を越えています。学生を中心とした大勢のボランティアの仲間とともに国政の改革に向けての活動を本格的に開始しました。

●1999(平成11年)9月
民主党の代表選挙では、菅直人氏を応援。広報担当として菅直人と学生が直接対話をする「菅学共同プロジェクト」など会社での経験を生かし、斬新な企画を実現する。

●2000年(平成12年)
第42回衆議院総選挙にて初当選。衆議院議員選挙に民主党公認で出馬。4期目をねらう現職政務次官と前回現職にせり負けた自民党系候補という強敵を相手に苦戦の連続でしたが、最終的には総投票数の40パーセント近くの93236票をいただき、初当選することができました。

●2003年(平成15年)
第43回衆議院総選挙にて二度目の当選。民主党副幹事長、政策調査会副会長など党の重要な仕事も任されるようになってきました。

●2005年(平成17年)
第44回衆議院総選挙にて三度目の当選。衆議院議院運営委員会の野党次席理事として国会の最前線で活躍。現在は、民主党『次の内閣』法務副大臣、国対副委員長。

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